そのときの私

この体験記は、2016年6月28日以降から、過去を振り返って書いています。そうした理由は、2016年2月10日に大学病院で受けたCTとPET検査の結果説明を受け、心サルコイドーシス、不整脈原性右室心筋症(ARVC)と心配された大きな病気が隠れている所見がなかったこと、カテーテル・アブレーションの施術(2015年11月16日)から7ヶ月経ちその間頻脈の再発もなかったことから、一区切りがついたと判断したからです。

過去を振り返って書いているため、後日判明したこと、その後の経過等も含めて書いてあります。
2015年11月5日〜17日まで人生初の入院と、カテーテル・アブレーションという高度医療を体験しました。

入院中は、テレビ画面を見る気にならなかったので、隣のベッドのおばあちゃんが食事のときに見ているテレビの声だけを聴き、スマホ持ちではなかったのでネット検索もまったく行いませんでした(ガラケーでメールは打ちましたが)。テレビはさておきネット検索をしなかったことは正解だったと思います。専門用語や薬の名前は控えておいて退院後に調べましたが、やはり、先入観を持たず担当医からの説明をよく聞くことが一番大切だと感じました。とはいえ、退院後は、私もたくさんのサイトを見て、安心したり不安になったりしつつも、得るところも大きく、個人的経験ながら参考にされたい方もいらっしゃるかもしれませんので、記録として残しておきたいと思います。

そのときの私

その日(11月5日)は、実家の父が入院していたため翌日実家に帰る予定になっていました。その頃、実家の弟も海外出張が頻繁にあり、私も実家の様子を見に月に数回帰省していました。その時の帰省は、病院から家族に病状説明があるとのことで、週の初めに連絡があった急なものでした。荷物を作り、髪も洗って、明日の服の用意をしておこうと、二階に上がり、クローゼットの扉をあけたとたん、今までに感じたことのない動悸が起りました。全力疾走や緊張したときのドキドキとはまったく違う感じでした。感覚的にはその倍くらいに感じました。しばらく横になり、少しおちついてきたので、おそるおそる階段を降りました。完全には収まらなかったのですが、インターネットで、動悸を調べる程度の余裕はありました。首の下をマッサージするとよいというのを見つけて(神経を静める)試したり、深呼吸をしたりと、様子を見ていました。いつものように夫とバナナヨーグルトを飲み、お手洗いに行って横になりました。少しウトウトしたようなのですが、気持ちの悪さで12時すぎ頃に目が覚め、冷や汗が出てきたので、このままではマズイと夫を呼びました。このときに体を起こしたせいか吐き気もして、ピューッと噴水のように吐いてしまいました。夫が「ドキドキ?救急車呼ぶから」と言ってくれて、「助かった〜」と不安が軽くなったのを覚えています。救急車は5分もたたずに来てくれたようで、その頃にはもしかしたら病院につく頃には収まっているかも、お風呂上がりに調子が悪くなったときにタクシーで救急に行っていたほうが迷惑ではなかったかもとかなど、冷静に思っていました。11月とはいえ家の中はさほど寒くはなかったのですが、玄関を出ると裸足の足がやたら寒く、歯がカチカチと鳴りました。救急車では、夫は足下の方に座っていたのですが、足の指を触ってくれているのがわかりました。私も、足(上半身は、心電図とかつけられていたので)を振って答えるくらいの余裕はあったのですが、頻拍はずっと続いていて、後で聞いたところによると顔は蒼白、唇は真っ青だったようです。この前後の脈拍は200/min近く、血圧は低く最高血圧が70くらいだったそうです。救急隊員の方が、「目をあけておいてね、怖いから」とおっしゃったのが記憶に残っています。あごと耳をゆっくりこすって下さり(迷走神経刺激)「これで収まることもあるんですよ。」「はい、私もネットで調べて試していました。」と会話もしていました。精神的には随分落ち着いていて、もしかしたら病院につく頃には収まっているかもと楽観的に考えていました。

運ばれた病院は8月と同じ病院(後述)で、お医者様も今思うと同じ方でした。当時は、原因は心労と思っていたので、お医者様にそれを訴え、既往症などはないことをアピールしましたが、黙っているようにと身振りで制されました。同時にまた冷や汗と吐き気がしてきました。顔の汗が冷えて気持ちが悪く、手のひらで拭ったのは覚えています。べったりと汗をかいていました。
ATPという単語が聞こえ注射、点滴のラインが取り付けられ、バタバタと処置が進んでいきました。ただ、最初の薬はどうやら効かなかったようです。このまま薬剤で収まらない時は電気的除細動(電気ショック)で止めるということで、鎮静剤を打たれ、次の瞬間名前を呼ばれたので、薬が効いてきたのかなあと目を開けたら「覚醒です!」という声が聞こえました。どうやら鎮静剤であっという間に意識を無くしていたようです。鎮静剤の効果で頻拍は収まったそうで、電気的除細動を行うことはなかったそうです。あとで、鎮静剤で収まる人も多いと聞きました。鎮静剤、電気的除細動等の承諾については、夫がサインをしてくれていました。

カテーテル検査1回目
その頃で2時過ぎだったと思うのですが、救急処置室から、入院中何度かお世話になることになる処置室に移動し、カテーテル検査が行われました。真夜中にも関わらず医師と看護師さん数人で、すぐに検査が進み、右手からカテーテルを通し造影剤が投与されました。大きな液晶モニターがあってそこに心電図や心臓のエック線画像が映し出されていました。ガラス窓で仕切られた予備室にはビデオや参考書があり、カテーテルがいくつか見本としてぶら下げられていたり、と研究室のような雰囲気でした。検査中は、オルゴール調の癒し系音楽が流れていました。造影剤が投与された瞬間はホワッと心臓のあたりが暖かくなり、すぐに排出されるのか続いて膀胱のあたりも暖かくなります。同時にモニターにも血管が白く浮かび上がりました。つらくはないのですが、なんともいえない不快感でした。導尿のカテーテルは鎮静剤を打ったときにされていたようでした。この時点で、動脈硬化はなく心筋梗塞でないことは解ったようでした。
そのあと暗い廊下を運ばれて、エレーベーターでICUに運ばれました。ICUに入ったのは、血流の管理と症状が心臓に与えた影響をみるためとのことでした。この頃で3時すぎだったでしょうか。両腕に点滴、上半身には心電図と、ラインだらけで寝返りも打てず、点滴の管を体にしいてしまうとエラー音するなどにぎやかな中でしたが、部屋も暗くしていただき少し休むことが出来ました。
 夫もいったん帰宅し、朝(といってももう朝だったのですが)にもう一度入院手続きに来てくれることになりました。始発には少し間があったようなのですが、電車で帰宅したようでした。

入院一日目
朝になり血液を採取され、レントゲン撮影、午後心臓のエコー。技師の方が、移動式の装置を持って来られ、すべて病室で行われました。食事は朝食から出ました。栄養士の方から、おかゆがいいか普通食でいいかを聞かれたのですが、今は食べられるだけ食べればいいからと言われ、普通食にしていただきました。いざ食べてみると、固形のものには食欲が湧かなかったのですが、牛乳がしみじみとおいしかったです。歯も磨けてすっきりしました。

ICUは、ナースステーションを中心に、ベッドが並んで配置されているオープンスペースと個室がいくつかあるようでした。私は個室にいたのですが、扉はなく、頭が窓側、足が入り口側だったので、人の動きがよくわかりました。医師が、大きなモニターで検査画像を真剣に見てられたり、チームカンファレンス?の声も聞こえ、想像以上に人の出入りがあり、活気がありました。スタッフの皆さんは、心臓血管チームという名札に心臓の模型のキーホルダーをぶら下げてられていました。こうしたまとまりのせいか、医師がいらっしゃる時間が長いせいか、看護師さんたちも心電図について質問していたり、場所柄そぐわないかもしれませんが和気あいあいとした雰囲気でした。実はこのとき私の話だったかはわからないのですが、「土日はゆっくりしてもらって」という会話が聞こえたので、週明けには退院かもと期待してしまいました。実際には、週明けの検査後にお話があり、入院期間が2週間から1ヶ月と知らされたので、がっかりしてしまいました。もちろん、私の話では無かったのかもしれませんが、ついつい都合のいい方向に捉えてしまいます。

 この日は、まだ手元に携帯もなく、頭側が窓だったため景色を見ることも出来ず、周りの様子を観察したり、ときどき流れてくる聞き覚えのある音楽の曲名を思い出そうとしたり(バッハのメヌエット ト長調でした)、安静を淡々と守っていました。バッハのメヌエットは、ナースコールでした。

夫が、朝と夕方来てくれました。

2016年6月29日 記