阪神淡路大震災

12年目の今日は普通の一日でした。あたりまえな日常の幸せの意味を感じる一日です。地震発生時は、起き上がれないほどの揺れでしたが、それが収まった後も、あの揺れは実は予震で、より大きな本震がくるかもしれないという恐怖で気が休まりませんでした。私の住んでいた周辺は大きな被害はありませんでした。

写真は、当時のスクラップブックと、ガラス瓶は、親戚の家に様子を見に行く途中、道路から液状化現象で吹き出ていた砂がはいっています。あとで母からその場所は昔は川だったと聞きました。新聞の切り抜きも張り付けていますが、この新聞は親戚のおじさんが避難所でもらってきてくれたものです。断層は白線にそって走っています。停電は直っても、テレビは受信できない状態が続き、ラジオとたまたま手に入った新聞と自分が見た事実がすべてでした。なので、報道では有名でも知らないことも多いのです。あの橋脚から倒れた高速道路も、空からの写真ではなく、JRの代替バスで数週間後に、その横を通った印象のほうが強く記憶に残っています。